このせんべいはもう大袋を開けてから1か月経ってないか?いい加減食わないと。
00年代、10年代の平沢曲、BLUE LIMBO以降はマスメディアの演劇とか、第三者によって物語化された事象みたいな方向性があったけど棘米を見てるとそのあたりのSNSで駆動するものには平沢ソロで描かれるマスコミ像と共通点がある
ナニガシカの悲劇憤劇ショックと憎悪の麻薬がポストインターネッチョだからこそ容易なファクトチェックさえスルーして自己生産しており、すると絵に自家中毒という言葉が浮かぶ
マスメディア意図がプラットフォームに移譲されたという話ではなく、むしろ大好きな物語を作る視点が個々人に備わっているという普遍の可能性を示したと思う
マスメディアは制作者のそれで視点を作り、視聴者のそれを利用していたに過ぎないんだ ぼくたち/わたしたちはそれを求めていたんだ
民が王を規定するってやつで、世襲君主を処刑し共和政に移行して、まだ残るアレは俺達の中にあったんだ、みたいな マスメヂアなんてもうすっかり象徴としてのメディアみたいな状態になってる
ここUnZIPで個人化著しいと思ったのはそのあたりを意識しているからなのだろうか?もうメディアミームのバトルフィールドはドローン時代の野戦並に分散化遠距離化されてて個別プラットフォームは問題ではない
はあ… たったこれだけのこと。気になって気になって一体何なんだろうとずっと見ててようやく…
せんべいが固い。湿気ってておいしくない。
Χに踊らされる人々たちというモチーフは続くが… Χは時代で変わり、経るごとに個人的になってきた感。「仏教時代からあったテーマでは?」「大人を舐めるなクソガキ」ボコ-
なぜなら平沢歌は意識と身体の問題、言語で捉える物語世界と身体が存在する世界の事実の乖離、そこから生まれる人間と現実のDisorderをテーマの1つにしているからなんだね
Dis-communicatorという歌でジャスラックをどうこう、という話があったが現代での白亜のチャペルがそびえ立つ場所がもはや脳裏にあるということを意識する
どこまでも人間は時代の鏡であって、ただ平沢進はポジネガ反転現像した物をひり出すという事かもしれない「言葉なくては見えない この身よ果てろ」(Perspective)
でもさ… やっぱりあの詩と世界観は唯一だよ。あれが一番楽しいんだよ
あと2枚…
う〜ん初見の人におすすめするべきソロは時代性の薄さという意味でSim Cityか賢者のプロペラかな… いや当時の東南アジア旅行ブームがあったのは知ってるよ。でもエキゾチックの異国ってアーキタイプはだれでも見てみたい光景でしょ?伊藤計劃だって中東のバザールが…活気…スパイス…ってやってたじゃん。日本の都市部で育った人なら見たいんだよそういうの。小学校ってクソだよな。変に小綺麗でさ、規則とか整ってるように見せかけだけあって、ガキの間はルール無用だから。法律も通じねえ。そんでクソな場所だって自分で分からねえ。ガキだから
伊藤計劃『ハーモニー』
〈commonsense〉
〈i: 自殺は恥知らずな行為だ、と皆が言う〉
〈i:社会的リソースたる身体に対する攻撃だ、と皆は言う〉
〈i:身体の公共性に対する恥ずべき無自覚だ、と世界中の人間が言う〉
〈ex:わたしはといえば、自身の命をどうしようがそれは当人の勝手だと思う〉
〈/commonsense〉
友人知人が悲しむからというならば気持ちは分かる。わたしだって友人が死ねば悲しむだろう。けれど、自分に迷惑をかけたわけでもない赤の他人の選択に、「公共性」だの「リソース意識」だのを楯に冷ややかな視線を浴びせる傲慢さは、わたし的には勘弁願いたい。
おいおい、ここに全部書いてあるじゃん😂 vs いやいや、お前の身体化だし別の話もあるよ🤓
う〜 もうせんべい食いたくないです。もういやだ 2枚だけだし捨てちゃおうかな





















